Date:2026.11.01
「迷っても、気持ちが変わってもいい」——『煩悩』と『看取り』から考える、ほんとうの人生会議(ACP)
「最期まで住み慣れたこの街で、自分らしく暮らしたい」
「いざという時、家族や周りの人に迷惑をかけたくない」
近年、もしもの時の医療やケアについて前もって考え、大切な人と話し合っておく「人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)」という言葉を耳にする機会が増えてきました。私たち特定非営利活動法人CCLでも、釧路地域において市民公開講座や研修会を通じ、日々の何気ない会話からご自身の「想い」をつむいでいくACPの取り組みを続けています。
しかし一方で、人生会議に対して「元気なうちに延命治療をする・しないをはっきり決めて、書類に書き残しておかなければならない」「一度決めたらブレてはいけない」といった、どこか堅苦しいイメージやプレッシャーを感じている方も少なくありません。
今回は、仏教で語られる「煩悩(ぼんのう=生への執着や迷い)」という人間本来の姿を手がかりに、看取りを見据えたACPのほんとうの意味について考えてみたいと思います。
1. 「身体が変われば、気持ちも変わる」のは当たり前のこと
元気な時に「自分の最期は何もしないでほしい、自然な形で逝きたい」と語っていた方が、実際に病気になり体調が悪化したとき、「やっぱりもう少し生きたい」「できる治療があるなら試してほしい」と気持ちが変わることは、医療や介護の現場では決して珍しいことではありません。
仏教の古典(『歎異抄』など)では、人間が少し病気になっただけで「このまま死ぬのではないか」と心細くなり、住み慣れたこの世に少しでも長く留まりたいと願う姿を、人間が誰しも抱えている「煩悩(生への執着)」の表れとして描いています。どれほど立派な死生観を持った専門家であっても、いざ自分の命の危機に直面すれば、怖くなったり迷ったりするのが人間の自然な姿です。
緩和ケアやスピリチュアルケアの現場では、「人間は、身体が変われば気持ちも変わる生き物である」と言われます。 だからこそ、ACP(人生会議)は「一度書類を書いて終わり」の手続きではなく、状況や体調の変化に合わせて何度でも話し合い、書き直していく「動的なプロセス」なのです。
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過去の決定に縛られなくていい:「あの時こう言ったから」と我慢する必要はありません。「今はとりあえずこう思っている」という確認を、その都度アップデートしていけばよいのです。
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心の「揺らぎ」は大切なサイン:迷ったり気持ちが揺れ動いたりすることは、決して「意志が弱い」のではありません。今の自分の身体と向き合いながら、「自分が今、本当に大切にしたいことは何か」を見つけ直そうとする大切なプロセスです。
2. 「医療の選択」の奥にある『根源的な願い』に耳を傾ける
ACPというと、「点滴や人工呼吸器をつけるかどうか」「最期を迎える場所は病院か自宅か」といった医療・療養の選択ばかりに目が向きがちです。もちろんそれらも大切ですが、表層的な「意思確認」だけにとらわれると、もっと大切なことを見落としてしまうことがあります。
たとえば、「寿命が短くなってもいいから、好きなものを口から食べたい」「思い出のある場所の近くで過ごしたい」という言葉の奥には、単なる場所や食事の希望を超えて、「自分の悲しみや不安をそのまま受け止めてくれる、確かな居場所にいたい」「最期まで一人の人間として尊厳を守られたい」という、心の奥底からの『根源的な願い』が隠れています。
仏教のビハーラ(終末期ケア)の取り組みに、「いきなり契約や医療の選択から入るのではなく、まずその人の人生を聴く」という考え方があります。 私たちが普段の暮らしの中で交わす、「昔こんな仕事をしていてね」「本当はこれが好きなんだ」という何気ない日常の対話こそが、その人の価値観や「人となり」を共有する人生会議の第一歩になります。
3. 看取りの場における「家族や周囲の迷い」も包み込む
人生の最終章である「看取り」は、ご本人だけでなく、支えるご家族や周囲の人にとっても心が大きく揺れ動く時間です。
日本人は特に、家族や地域といった「横のつながり」の中で支え合って生きているため、ご本人が「もう何もしなくていい」と思っていても、見送る家族の側が「少しでも長く生きていてほしい」「自分の判断で命を縮めたくない」と葛藤することがよくあります。
また、大切な人を看取った後に、「本人は自宅で過ごしたいと言っていたのに、最期に苦しむ姿を見て救急車を呼んでしまった。あの選択でよかったのだろうか」と深く後悔し、自分を責めてしまうご家族も少なくありません。
しかし、仏教の視点から見れば、介護や看取りの選択には「残される家族自身が、後で後悔しないため(自分の心が納得するため)」という思いが含まれていて当然です。もし事前の話し合いと違う選択をすることになったとしても、「最期に私たちが納得するために、こうさせてもらったよ」と伝えれば、旅立った大切な人は大きな懐で「それでいいんだよ」と受け止めてくれるはずです。
ACPは、家族が「完璧な看取り」を達成するためのテストではありません。事前に思いを共有しておくことで、いざという時の家族の迷いや負担を和らげ、看取りの後の悲しみ(グリーフケア)を支えるための「お守り」のようなものなのです。
4. 家族がいなくても、地域全体で「想い」を括る
「人生会議が大切なのはわかったけれど、私には頼れる家族がいないからできない」と不安に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、「人生会議」は決して血縁者だけで行う「家族会議」ではありません。 親しいご友人、かかりつけ医、訪問看護師、ケアマネジャー、地域の民生委員、そして私たちのようなNPOのスタッフなど、あなたの暮らしに関わるすべての人が、あなたの想いを聴き、意思を託せるメンバーになり得ます。
おわりに:今日から始める、飾らない「対話」
生への執着や迷い(煩悩)を抱え、日々気持ちが揺れ動くのは、私たちが今この瞬間を懸命に生きている証です。 だからこそ、人生会議(ACP)も「立派な結論」を出そうと気負う必要はありません。
【今日からできる、対話のきっかけ】
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昔の写真や映画を見ながら、「自分の人生で一番楽しかったこと」を話してみる。
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「これだけは最期まで大切にしたい趣味や習慣」を身近な人に伝えてみる。
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「もし今と気持ちが変わったら、またその時に話すね」と約束しておく。
特定非営利活動法人CCLは、「人をくくり、組織をくくり、地域を括る」という理念のもと、あなたの揺れ動く気持ちや迷いもまるごと受け止めながら、誰もが最期まで「その人らしく生きる」ことができる釧路の地域づくりをこれからも応援してまいります。
まずは今日、あなたの身近な人と、日々の何気ないおしゃべりから始めてみませんか?