Date:2025.07.14
在宅医療介護連携と身寄りのない人への支援:包括的分析と政策提言(第3回)
3. 身寄りのない人への支援の現状と課題
「身寄りのない人」の定義と現状
本記事では、「身寄りのない方」を、単に親族がいないだけでなく、親族がいても何らかの理由で支援が受けられない方と定義します。これには、配偶者、親権者、直系血族、兄弟姉妹、家庭裁判所で選任された扶養義務者、あるいは民法で定められた6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族がいない、連絡が取れない、または支援が得られない場合が含まれます。
日本の高齢化社会の進展に伴い、「身寄りのない高齢者」の数は年々増加の一途を辿っています。2050年には、高齢単身世帯が約1,084万世帯に達し、これは全一般世帯の20.6%を占めると推計されています。さらに、2040年には高齢者の4人に1人にあたる1,000万人以上が「頼れない、または頼らない状態になる」と指摘されており、この問題は社会全体に広がる深刻な課題となっています。
全国の地域包括支援センターの約9割が身寄りのない方に関する相談を受け、その対応に迫られている状況が報告されています。しかし、地域包括支援センターによる実態調査では、「緊急時に連絡先がない」「緊急時に援助が見込めない」世帯数を正確に把握することが困難であり、4割近くが「不明」または「無回答」と回答しています。把握できている場合でも、担当世帯の2割に及ぶケースがあることが示されています。
この定義の広がりと実数把握の困難さは、支援の網羅性を阻害する大きな要因となっています。定義が広範であることは、支援の対象を広げる点で重要である一方で、「誰が身寄りのない人なのか」を特定しにくくしています。特に「支援が受けられない」という主観的・状況的な要素は、行政が客観的に把握することが極めて困難です。
この実数把握の困難さは、支援ニーズの全体像を掴むことを妨げ、結果として効果的な支援計画の策定やリソース配分を阻害します。潜在的なニーズが見過ごされ、必要な支援が届かない「見えない孤立」を生み出すリスクがあり、地域包括ケアシステムの「地域づくり・資源開発機能」を十分に発揮できない原因となっています。支援対象が不明確なままでは、地域資源の適切な開発や、地域住民による見守り・支え合いの仕組みの構築も限定的にならざるを得ず、社会全体で「誰一人取り残されない」仕組みを目指す上で、根本的な障壁となっています。
直面する主要な課題
身寄りのない人々は、生活の様々な局面で特有の困難に直面します。これらの課題は、彼らが地域で安心して生活を継続することを阻害する深刻な要因となっています。
身元保証問題(入院・施設入所・賃貸契約)
多くの病院や介護施設、賃貸住宅では、未払いリスク、緊急時対応、退院・退所後のケア、事故時の対応などを理由に、身元保証人を求めることが一般的です。厚生労働省は、身元保証人不在を理由とした入院拒否は不当であると指導しているものの、一部の病院では依然として拒否されるケースが報告されており、その実態は根深く残っています。
全国調査では、介護施設の30.7%が本人以外の署名がない場合に入所を受け入れず、医療機関の8.2%が身元保証人が得られない場合「入院を認めない」と回答しています。さらに、新潟県内の医療機関・施設等では98%が身元保証人を求めており、そのうち17%は不在の場合「断る」と回答しているというデータもあります。
身元保証人要求の慣習は、制度の理念と現実の間に大きなギャップを生み出しています。これは、医療・介護機関側のリスク回避(未払い、緊急時対応、死後事務など)と、高齢者の「住み慣れた地域で暮らす権利」との間の深刻な対立を示しています。制度的には保証人なしでの受け入れが推奨されていても、現場の運用が追いついていない状況です。
身元保証人不在によるサービス拒否は、身寄りのない高齢者が適切な時期に医療や介護を受けられない事態を招き、病状の悪化や生活環境の不安定化を加速させます。これは、結果的に救急搬送や長期入院といった、より高コストで非効率な医療・介護利用に繋がる可能性が高いです。この問題は、単なる手続き上の課題ではなく、医療・介護現場の「家族」という概念への依存と、それに対応できない社会構造の変化とのミスマッチを浮き彫りにしています。家族の支援を前提としない仕組みへの転換が急務であるにもかかわらず、現場の慣習やリスク意識がその変革を阻んでおり、地域包括ケアシステムの「包括的」という理念が、身寄りのない人々に対しては十分に機能していない現状を示しています。
緊急時対応と医療同意の困難性
急変時や入院時、手術の同意など、医療に関する重要な決定を行う際には、法的な権限を持つ家族の関与が必要とされることが多いです。身寄りのない場合、信頼できる友人や近所の人を緊急連絡先とすることも可能ですが、法的な権限がないため医療同意などには限界があります。本人が意思表明できない状況では、医療機関は治療方針の決定に苦慮し、適切な治療が遅れるリスクを抱えます。地域包括支援センターの職員やケアマネジャーが救急車同乗を求められるなど、職分を超えた対応を迫られ、負担が増大している事例も報告されています。
医療同意における「家族」の法的・慣習的役割は、身寄りのない人の自己決定権を侵害するリスクをはらんでいます。日本の医療現場では、患者の意思決定能力が不十分な場合、家族がその代理人となることが慣習化されています。しかし、身寄りのない人にとっては、この「家族前提」の慣習が、自身の医療に関する自己決定権を行使する上での大きな障壁となります。家族がいない、あるいは機能しない場合、患者本人の意思が尊重されにくくなる可能性があります。医療機関はリスクを避け、治療を躊躇したり、あるいは本人の意に反する治療を進めたりする可能性があります。これは、患者の尊厳を損ない、QOL(生活の質)を低下させるだけでなく、医療者側にも倫理的ジレンマを生じさせます。例えば、イレウスで入院した患者が治療を拒否し、「家で苦しんで死んでもいい」と話す事例は、意思決定支援の困難性を端的に示しています。
この課題は、**アドバンス・ケア・プランニング(ACP)**や医療代理人制度の法整備・普及の遅れと密接に関連しており、家族に頼れない社会構造の変化に対応するためには、本人の意思を事前に明確にし、それを尊重する仕組みを社会全体で確立することが不可欠です。これは、終末期医療における自己決定権の保障という、より大きな法的・倫理的課題に繋がります。
財産管理と悪用リスク
判断能力が不十分な身寄りのない高齢者は、不当な契約や詐欺、悪徳商法に巻き込まれ、財産を失うリスクが高い状況にあります。民間の身元保証サービスの中には、任意代理の委任契約のまま財産管理を行い、利用者の財産を不正に流用する悪用例が多数報告されています。特に、身元保証、日常生活支援、死後事務の「4点セット」のうち2点以上を提供するサービスは、類型的に消費者被害に繋がりやすいと指摘されています。
財産管理のニーズと民間サービスの無規制状態が、新たな消費者被害を生み出す温床となっています。身寄りのない高齢者は、判断能力の低下や孤立から、財産管理において脆弱な立場に置かれています。このニーズを狙った民間サービスが乱立していますが、規制法や監督行政機関が存在しないため、サービス内容、費用、信頼性にばらつきがあり、トラブルが多発しています。公的支援である成年後見制度の利用しにくさや限界(報酬支払いの負担、利用停止の困難性、後見人不足)が、結果的に規制されていない民間サービスへの需要を生み出している側面があります。
この規制の空白が、悪質な事業者の参入を許し、高齢者の財産を危険に晒しています。この問題は、単なる個別の消費者トラブルに留まらず、高齢者の権利擁護と財産保護という社会全体の課題であり、公的支援の拡充と同時に、民間サービスの適切な法規制と監督体制の確立が急務です。これが遅れれば、高齢者の生活基盤が根底から脅かされる事態が常態化する恐れがあります。
死後事務の担い手不足
遺体の確認、関係者連絡、死亡届申請代行、火葬手続、葬儀、納骨、遺品処分など、死後の手続きは多岐にわたりますが、身寄りのない場合、これらの担い手が不在となることが大きな課題です。病院や施設は、患者が死亡した場合、相続人との対応を行う法的義務がありますが、家族等が不在、疎遠、または不明の場合には対応が困難となり、遺体や遺品の処理が滞る事態が生じます。死後事務委任契約の活用が推奨されていますが、契約内容の有効性確認や、本人の意思能力があるうちに締結することが重要であり、その普及には課題が残ります。
「無縁社会」の進展は、死後事務という最終的な生活支援の空白を生み出しています。核家族化や単身世帯の増加により、家族による死後事務の担い手が減少しています。これは、個人の問題だけでなく、「無縁社会」と呼ばれる社会構造の変化の最終段階における顕在化です。死後事務の担い手がいないことは、遺体の引き取り手がない、葬儀が行われない、遺品が放置されるといった問題に繋がり、社会的なコスト(行政による無縁墓地への埋葬など)や心理的負担(関係者や近隣住民の困惑)を生じさせます。また、生前の本人の尊厳が死後も守られないという問題もはらんでいます。
死後事務の課題は、人生の「終末」における尊厳の保障という、より深い倫理的・社会的問題を提起しており、生前の意思表示(死後事務委任契約など)の普及と、それを確実に実行する公的・準公的機関の役割強化が、今後の社会で不可欠となります。これは、地域包括ケアシステムが「人生の最後まで」支援するという理念の、最も困難な側面の一つです。
社会的孤立と精神的健康への影響
身寄りのない高齢者は、社会的な支援を受けにくく、孤立が深まるリスクが高い状況にあります。一人暮らしや高齢者のみの世帯の高齢者を中心に、地域で見守り活動や支えあい活動を推進する条例が一部自治体で制定されているものの、まだ地域差があり、社会福祉としては確立しておらず、十分な支援が受けられない場面があることが指摘されています。
身寄りのない人の孤立は、単なる社会参加不足に起因するものではなく、支援システムへのアクセス障壁と精神的脆弱性の複合的な結果として生じている側面があります。孤立は、身元保証問題や緊急時対応の困難性といった制度的なアクセス障壁によっても引き起こされ、これらの障壁が、社会との接点をさらに減少させます。孤立が深まることで、精神的健康が悪化し、うつ病や認知症の進行リスクが高まります。これにより、さらに判断能力が低下し、財産管理や医療同意といった問題が顕在化しやすくなるという悪循環が生じます。また、見守り体制が不十分な地域では、孤立死のリスクも高まります。
この問題は、地域包括ケアシステムが目指す「地域共生社会」の実現における最大の課題の一つであり、単なるサービス提供だけでなく、地域住民による「支え合い」の文化を醸成し、制度とインフォーマルな支援が有機的に連携する仕組みを構築することが、孤立防止には不可欠です。これは、社会全体のウェルビーイングに関わる根源的な課題と言えます。