Date:2025.06.15
日本の介護を支える人たちをまもるために ~介護現場のカスタマーハラスメント問題~
はじめに
日本は世界でも類を見ない速さで高齢化が進んでおり、私たちが安心して年を重ねるためには、質の高い介護サービスが不可欠です。
そして、そのサービスを日々現場で支えてくださっているのが、介護に携わる専門職の方々です。
しかし、近年、介護の現場で働く方々が直面している深刻な問題として、「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が大きな課題となっています。
この記事では、介護現場で起きているカスタマーハラスメントの実態やそれが働く人々、そしてサービスの質にどのような影響を与えているのかをご説明し、この問題を解決するために社会全体でどう取り組むべきかについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
介護現場の「カスタマーハラスメント」とは?
カスタマーハラスメントとは、サービスを利用するお客様やその関係者からの、度を超えた理不尽な要求や嫌がらせ行為を指します。
介護現場においては、サービスを利用されているご本人だけでなく、そのご家族等から介護職員に対して行われるものがこれにあたります。
具体的には、以下のような行為が含まれます。
- 言葉による暴力(暴言・脅迫) 「辞めちまえ」「馬鹿野郎」といった侮辱的な言葉、大声で怒鳴る、脅迫する、威圧的な態度をとるなど。
- 身体的な暴力 殴る、蹴る、つねる、物を投げつける、髪を引っ張るなど、身体に危害を加える行為。
- 性的な嫌がらせ(セクハラ) 不必要に身体に触れる、性的な言動を繰り返す、わいせつな行為など。
- 度を超えた要求・不当なクレーム 契約にないサービスを無理やり要求する、個人的な用事を押し付ける、金銭を要求する、些細なことで繰り返し執拗にクレームをつける、土下座を強要するなど、社会通念上不相当な要求。
ただし、認知症などが原因で、ご本人の病気や障がいの症状として現れる言動(専門的にはBPSDといいます)は、ハラスメントではなく医療やケアによって対応すべきものとされています。
しかし、現場ではその区別が難しく、介護職員の方が心身の負担を感じている状況があります。重要なのは、その行為が職員にとって苦痛であり、働く環境を悪化させているという点です。
どれくらい起きているの?
残念ながら、介護現場でのカスハラは決して特別なことではありません。
様々な調査で、多くの介護職員がカスハラやそれに類する迷惑行為を経験していることが明らかになっています。
- ある調査では、医療・介護従事者の半数近くが過去3年間に迷惑行為を受けたと回答しています。
- 別の調査では、介護士の約9割が利用者からの暴力やハラスメントの経験があると報告されています。
- 特に言葉による暴力(暴言)が多く、身体的暴力やセクハラもかなりの割合で発生しています。
- 利用者ご本人からだけでなく、ご家族からの暴言や不当な要求も多く発生しているのが介護現場の特徴です。
これらのデータは、多くの介護職員が、日々お客様へのケアに真摯に向き合う中で、心ない言動や理不尽な扱いに耐えている現実を示しています。
なぜ起きてしまうの?
カスハラは、ある一つの原因だけで起きるわけではありません。
利用者ご本人の状態、ご家族の状況、そして介護サービスを提供する事業所側の要因など、様々なことが複雑に絡み合って発生しています。
- 利用者ご本人の要因 認知症やその他の病気の影響で感情のコントロールが難しくなったり、自分の思いをうまく伝えられなかったりすることが、攻撃的な言動につながることがあります。また、病気や環境の変化によるストレスや不安が背景にある場合もあります。
- ご家族の要因 ご家族が抱える介護の負担やストレス、経済的な問題などが原因で精神的な余裕がなくなり、介護職員に対して過剰な期待をしたり、厳しく当たったりすることがあります。また、施設や職員への不信感や、利用者本人の状況への理解不足も関係することがあります。
- 事業所・施設側の要因 慢性的な人手不足により、職員一人ひとりの業務負担が重く、利用者や家族とのコミュニケーションが十分に取れない状況があります。また、サービス内容や施設のルールに関する説明不足、職員への研修やサポート体制の不備、そして苦情などへの対応が適切でない場合も、問題を悪化させる可能性があります。
このように、カスハラは特定の誰かだけを責められる問題ではなく、様々な要因が組み合わさって生じる、社会的な課題であると言えます。
働く人に、サービスに、どんな影響があるの?
カスハラは、被害を受けた介護職員の方の心と体に大きな傷を残します。
- 心身の健康への影響 強いストレス、不安、恐怖、無力感を感じ、眠れなくなったり、うつ状態になったりすることがあります。「仕事に行きたくない」「常に緊張している」といった状況に追い込まれることもあります。ひどい場合には、身体的な怪我を負うこともあります。
- 仕事への意欲の低下・離職 カスハラは、介護の仕事に対するやりがいや誇りを失わせ、働く意欲を著しく低下させます。多くの職員が、カスハラが原因で「仕事を辞めたい」と考え、実際に離職する人も少なくありません。
そして、これは個人の問題に留まらず、介護サービス全体の質にも深刻な影響を与えます。
- 人材不足の深刻化 カスハラによる離職者の増加は、既に深刻な介護人材不足に拍車をかけます。人手が足りなくなれば、残った職員の負担が増え、一人ひとりの利用者の方に十分な時間をかけることが難しくなります。
- サービスの質の低下 心身ともに疲弊した職員は、質の高いケアを提供し続けることが困難になる可能性があります。利用者の方との丁寧なコミュニケーションが難しくなったり、ケアの質が低下したりする恐れがあります。
つまり、カスハラは介護職員の方の尊厳を傷つけるだけでなく、私たちが将来受け取るかもしれない介護サービスの質を低下させ、日本の高齢社会を支える基盤を揺るがす、私たち自身の問題でもあるのです。
どんな対策がされているの?
このような状況を受けて、国や業界団体、そして個々の介護事業所でも、カスハラ対策に向けた様々な取り組みが進められています。
- 国によるガイドライン・マニュアルの策定 厚生労働省は、介護現場でのハラスメント対策に関するマニュアルや研修資料を作成し、事業所が取り組むべき内容を示しています。
- 法改正による義務化・推奨 介護事業所に対し、パワハラやセクハラ防止のための対策が義務付けられ、カスタマーハラスメントについても防止のための対策を講じることが推奨されるようになりました。
- 事業所での取り組み 多くの事業所で、ハラスメントを許さないという方針を定めて職員や利用者・家族に周知したり、職員向けの研修を実施したり、相談窓口を設置したり、カスハラ発生時の対応マニュアルを整備したりといった対策が進められています。サービス利用契約書に、ハラスメント行為があった場合の対応(サービス停止や契約解除の可能性)を明記する事業所も増えています。
対策を進める上での難しさ
対策は進められているものの、現場では依然として多くの難しさに直面しています。
- どこまでが「症状」、どこからが「ハラスメント」? 認知症などの症状と、意図的なハラスメント行為を見分けるのは非常に難しく、現場の職員が対応に迷うことがあります。
- 「言っても無駄かも…」「関係が悪化するのが怖い…」 被害を受けても、「介護の仕事だから仕方ない」「自分が我慢すれば…」と考えてしまったり、利用者やその家族との関係が悪くなることを恐れて、職場の管理職などに相談することをためらう職員が少なくありません。相談しても真剣に取り合ってもらえないのではないか、といった不信感がある場合もあります。
- 証拠を残すのが難しい 特に言葉によるハラスメントや、密室になりやすい訪問介護などでは、客観的な証拠(録音や録画など)を残すことが難しく、その後の対応を進める上での壁となります。
- 人手も時間も足りない カスハラ対策には、研修の実施や相談対応、発生時の対応など、多くの時間や人員が必要となります。しかし、慢性的な人手不足の介護現場では、これらの対策に十分なリソースを割くことが難しい状況があります。
- 「お客様だから」というプレッシャー 介護という対人サービスにおいて、「お客様は大切にしなければ」という意識から、不当な要求に対しても強く断り切れず、職員が無理をして対応してしまうことがあります。
- サービスを停止することの難しさ 介護サービスは利用者の生活を支えるために提供されるものであり、ハラスメントがあったからといって、簡単にサービスの提供を止めたり、契約を解除したりすることはできません。特に、他に移る場所がない利用者の方の場合、深刻なハラスメントが続いても対応に苦慮することがあります。
私たちCCLの取り組み
特定非営利活動法人CCLでは、介護現場で働く方々が安心して、そして誇りを持って働き続けられる環境づくりを目指しています。そのため、介護現場のカスタマーハラスメント問題についても、重要な課題として捉え、以下のような取り組みを通じて問題解決に貢献していきたいと考えています。
- 市民への啓発活動 本記事のように、介護現場のカスハラの実態や重要性を多くの方に知っていただくための情報発信を行います。
- 調査研究・提言活動 現場の声を収集し、カスハラの実態や対策に関する調査研究を行います。
- 専門家との連携 弁護士やカウンセラーなど、様々な専門家と連携し、相談体制の構築や個別事案への対応に関する情報交換を行います。
- 介護職員への支援(検討含む) 悩みや不安を抱える介護職員の方が孤立しないよう、相談できる窓口や情報提供の仕組みづくりなども検討していきます。
市民の皆様へのお願い
介護現場のカスハラ問題を解決し、日本の介護を支える人々を守るためには、私たち市民一人ひとりの理解と協力が不可欠です。
皆様におかれましては、以下の点について、ご理解・ご協力いただけますようお願い申し上げます。
- 介護の専門職への感謝と敬意 日々、私たちの親や大切な家族のために尽力してくださっている介護職員の方々へ、感謝と敬意を持った姿勢で接しましょう。
- サービスの範囲と限界への理解 提供される介護サービスの内容や範囲、介護保険制度の仕組みについて理解するよう努めましょう。不明な点があれば、事業所の担当者に確認し、適切ではない過剰な要求はしないようにしましょう。
- 冷静で建設的なコミュニケーション サービス内容に疑問や不満がある場合は、感情的にならず、まずは冷静に事業所の相談窓口や担当者に伝え、対話を通じて解決を図りましょう。
- 事業所のハラスメント対策への協力 事業所が定めているハラスメントに関する方針やルールに理解を示し、協力しましょう。
- 問題意識を持つこと 介護現場でカスハラが起きているという現実を知り、この問題が私たち自身の社会課題であることを認識しましょう。
まとめ
介護現場のカスタマーハラスメントは、そこで働く人々の尊厳を傷つけ、離職を招き、ひいては介護サービスの質を低下させる、看過できない問題です。
この問題の解決は、特定の事業者や介護職員だけが取り組むべき課題ではなく、サービスを利用する私たち市民、そして国や社会全体で協力して取り組むべき重要な課題です。
特定非営利活動法人CCLは、今後もこの問題に対する社会の意識を高め、介護現場で働く人々が安心して、そして誇りを持って働ける環境づくりを支援してまいります。皆様のご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。