Date:2025.04.28
「人生会議」は本当に必要? 超高齢社会の日本で考える、自分らしい最期の迎え方
日本社会は、かつてない高齢化の波に直面しています。
人生の最終段階における医療やケアについて、私たちは真剣に考える必要に迫られています。
そんな中、注目されているのが「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」、そして厚生労働省がその普及のために名付けた愛称「人生会議」です。
なぜ今、「人生会議」が必要なのか
ACPとは、将来、もしもの時に自分の意思を伝えられなくなった場合に備えて、希望する医療やケアについて、事前に家族や医療・ケアチームと話し合い、共有するプロセスです。
高齢化が進み、自宅や施設で最期を迎える人が増える中で、本人の意思を尊重したケアを実現するために、ACPはますます重要になっています。
厚生労働省は、このACPをもっと身近に感じてもらうために、2018年に「人生会議」という愛称を決定しました。
専門用語であるACPを、より分かりやすく、親しみやすい言葉で表現し、誰もが気軽に話し合えるようなきっかけを作ることを目指したのです。
「人生会議」とは? 日本的なACPのアプローチ
厚生労働省は、「人生会議」を「もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組」と定義しています。
これは、単に終末期だけでなく、事故や急病など、予期せぬ事態で意思表示ができなくなる可能性も考慮し、元気なうちから自分の価値観や希望について考え、周囲と共有しておくことの重要性を強調するものです。
「人生会議」では、一度話し合ったら終わりではなく、状況や気持ちの変化に合わせて繰り返し話し合うこと、自分が大切にしている価値観を明確にすること、そして、もしもの時に自分の意思を代弁してくれる人を選んでおくことなどが推奨されています。
議論を呼んだ2019年のポスター
「人生会議」の認知度向上を目指し、2019年には啓発ポスターが制作されました。
しかし、その内容が「患者や家族の不安を煽る」といった批判を浴び、大きな議論を呼びました。
この騒動は、「人生会議」という言葉自体の知名度を高める結果にはなりましたが、同時にネガティブなイメージも与えてしまったかもしれません。
「人生会議」の認知度は?
厚生労働省の調査によると、2022年時点で「人生会議」を「よく知っている」「聞いたことはあるがよく知らない」と答えた人の割合は、一般国民で約27%に留まっています。
一方、医療従事者の間では認知度が大幅に向上しており、医師や看護師の約8割が「人生会議」について知っていると回答しています。
この結果は、専門家の間では理解が進んでいるものの、一般の人々への浸透にはまだまだ課題があることを示しています。
「人生会議」という名前に違和感?
「人生会議」という言葉に対して、「自分の人生で人生会議を開くことに違和感がある」「生きるのに会議が必要か」といった違和感を抱く方もいます。
これは、この言葉が持つ少し堅苦しいイメージや、人生の最終段階という重いテーマを矮小化しているように感じるからかもしれません。
本来、「人生会議」は、自分の人生を振り返り、大切にしていることや、もしもの時の希望について、大切な人とじっくりと話し合う時間を持つ、というイメージで名付けられたと考えられます。
しかし、言葉の印象から、生きることを常に「会議」のように捉えなければならない、と誤解される可能性も否定できません。
大切なのは、「人生会議」という言葉にとらわれすぎず、その言葉が伝えようとしている、「自分の大切にしていることや、望むことを、いざという時のために、大切な人に伝えておく」という考え方です。
より良い普及のために
「人生会議」をより多くの人に理解し、実践してもらうためには、今後のコミュニケーション戦略が重要になります。
恐怖や後悔を煽るのではなく、ACPがもたらすポジティブな側面、例えば「自分らしい最期を迎えることができる」「家族の負担を減らせる」といった点を強調していくべきでしょう。
また、テレビやインターネット、病院、地域の情報誌など、様々な媒体を活用し、共感を呼ぶような事例紹介なども有効かもしれません。
認知度向上のためには、それぞれの世代や状況に合わせた情報提供も不可欠です。
まとめ
「人生会議」という言葉には賛否両論ありますが、その根底にある、自分の人生の最終段階について考え、大切な人と話し合うというプロセスは、高齢化が進む日本において非常に重要な意味を持ちます。言葉の印象にとらわれず、この機会を通じて、自分自身と大切な人の未来について、一度じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。
「人生会議」は、決して堅苦しい「会議」ではありません。
それは、自分自身の人生を尊重し、最期まで自分らしく生きるための、大切な「話し合い」の機会なのです。